教員としての価値観・教育観
価値観や教育観はその人の培ってきた体験や学習で構成されると思います。
生まれてから今までの経験や学生時代の恩師や大学4年間で学んだことなど「こうありたい」とか「こうあるべき」みたいな感情や感覚が価値観や教育観を作っていると思います。
人間が人間を育てるのが学校教育現場であると考えておりますのでどれだけ受験指導ができても人間として疑問符が付く人はたとえ教員免許を持っていたとしても人間を育てることはできないと思っています。もちろん生徒が成長する、目的を達成するために受験指導は必要なのでたとえ人間として疑問符が付くとしても受験指導ができる人は学校に必要です。
人間性はいまいちでも受験指導だけはピカイチとか、授業はいまいちだけど部活動では全国大会に連れていける指導力があるとか、受験指導はできないけど勉強が苦手な生徒に勉強をすることの面白さを伝えることは上手いとか、教員も人間ですので得意な分野もあれば苦手な分野もあり学校には様々な先生がいます。
特に「適材適所」により学内のリソースを最適に分配して生徒や保護者、将来その学校を志望する生徒たちのために進学実績を上げたり、部活動で成果を出したり、授業への興味を持たせることは私立のほうが柔軟に対応していると思います。
決して公立の学校を十把一絡げに「適材適所」ができていないとは思いませんがやはり公立は社会インフラなので教員同士の仕事量も公平性が優先されたりするので私立学校のほうが思い切った「適材適所」を実行している学校が多いと感じます。
私立学校はどれだけ多くの生徒に受験してもらって、どれだけ多くの生徒に入学してもらうかが学校経営の根幹ですから効率の悪い状態を放置して生徒の獲得に支障をきたすことを起こさないと思います。
実際に授業は少ししか持っていないけど全国大会の常連の部活動の顧問だったり、コミュニケーションに少し難があり保護者の対応はできるだけさせないけれど抜群に授業や受験指導が上手だったりする教員もいました。
一般企業で語られる組織論で「強みを生かして、弱みを補完する」というのが私立学校にもあてはまるのではないかと考えます。
公立学校では全ての事に70点以上を求められますが私立なら平均70点で何か一つが120点くらい取れていれば苦手なことは誰かが補完してくれると思います。そしてあなたの120点が誰かの苦手を補完しているという形ができます。
採用面接や小論文の内容は表向きのことを書きつつ、学校の求める人物像の中で自身の価値観を表現し、採用されたら自分の武器が何かを突き詰めていけばいいと思います。自分の武器で他の誰かの苦手をフォローできるくらいの力をつければその組織で求められることが増えてもっと教員という仕事が楽しくなるでしょう。
価値観や教育観は日々変わっていくので自身の価値観や教育観に凝り固まって採用面接や小論文でとがったことを伝えるよりも採用されてからとがっていっても良いと思います。
4月まで残りあとわずか、私立の教員採用の募集も少なくなってきています。
まだ教職の決まっていない方はここで一度自分自身を見つめなおして採用試験に臨んでいただければと思います。
私立学校の採用について質問がありましたらコメントください。できる限り答えたいと思います。