教員の常識は非常識
よく言われることです。
全ての教員が非常識というわけではありませんがやはり一部の方は変わっていると思います。なぜ、教員が非常識になるのか考えてみました。
教員同士の呼称が「●●先生」だったり、教員同士がお互いに敬語を使うことが多い。対等な「教員」としての対応になることが多いため独自の価値観やポリシーだけで年齢を重ねてしまうとその価値観だけで解決するのかもしれません。
一般企業では上司や先輩がいて社会のマナーを教えてくれますが、我流で突き進んでたしなめる人がいなければどんどん勘違いしていくでしょう。
社会のマナーを教えられる機会がないので必然といえば必然です。
また、教員側から問題に対する相談は共有されますが生徒側から教員への問題は注意することが難しいことが多くあります。1組の教員に問題があって2組の教員が1組の教員を注意することはありません。なぜなら2組の教員も他の教員にあれこれ言われたくないですから。
無意識のうちに組織として互いに自浄作用が働かないようにしているのです。
加えて、教員を目指そうという人はどちらかというと優等生タイプの人が多いので叱られずに育ったため、叱り方がわからないケースがあると思います。叱り方もわからないまま毎日、自分の話すことが正しいと教育される生徒といればどんどん傲慢に横柄になっていくでしょう。
これに気づいて教員から民間企業に行く人もいれば、学生時代にわかって民間企業に一旦、就職をすることを選択する学生もいます。もちろん、これが異常だとわかったうえで教員を続けながら染まらないようにする教員もいます。
非常識な教員がいるのはしょうがないとしてもなぜ非常識な教員が生まれるのかのメカニズムを知らないというのが問題です。
この辺も表に出して建前だけではない教育現場の実態に社会も参加してほしいと思います。
私立学校の採用について質問がありましたらコメントください。できる限り答えたいと思います。